吸入薬と緑内障 (4コマあり)
最近、診察室で患者さんから「インターネットやAIで調べたら、ステロイドの吸入薬を使うと緑内障が悪化すると出てきて不安になった」というご相談を立て続けにいただきました。喘息やCOPD(慢性閉塞性肺疾患)の治療に欠かせない吸入薬ですが、副作用への不安から自己判断で中断してしまうと、本来の病気が悪化して呼吸が苦しくなる恐れがあります。そこで今回は、吸入薬と緑内障の正しい関係について詳しく解説いたします。
緑内障の仕組みと種類を知ることが第一歩です
緑内障と一口に言っても、実はいくつかのタイプに分かれており、それぞれで使用する薬剤のリスクが大きく異なります。まずは、ご自身の緑内障がどのタイプなのかを正確に把握することが大切です。緑内障とは、目の中を流れる「房水(ぼうすい)」という液体の排出がうまくいかず、眼圧が上がることで視神経が障害される病気です。大きく分けると、以下の2つのタイプが代表的です。
開放隅角緑内障(かいほうぐうかく りょくないしょう)
房水の出口である「隅角(ぐうかく)」は開いているものの、その先のフィルターが詰まって流れが悪くなるタイプです。日本人の緑内障の約90%がこのタイプに該当し、眼圧が正常範囲内であっても視神経が傷つく「正常眼圧緑内障」もここに含まれます。このタイプの方は、後述する抗コリン薬による急性発作のリスクは極めて低いと考えられています。
閉塞隅角緑内障(へいそくぐうかく りょくないしょう)
隅角そのものが狭くなっており、何らかのきっかけで出口が完全に塞がってしまうリスクがあるタイプです。急激に眼圧が上昇する「急性緑内障発作」を起こす可能性があり、全体の約12%の方が該当します。特定の吸入薬を使用する際に注意が必要なのは閉塞隅角緑内障の方です。
まずは眼科の先生に、自分の隅角がどのような状態かを確認しておきましょう。
吸入薬の中で特に注意が必要な成分とは
吸入薬には大きく分けて「ステロイド薬」と「気管支拡張薬」が含まれています。多くの患者さんはステロイドを心配されますが、実は緑内障の種類によってはステロイドよりも注意すべき成分があります。それが、抗コリン薬です。
抗コリン薬が目に与える影響
抗コリン薬(成分名-チオトロピウム、グリコピロニウム、ウメクリジニウムなど)は、気道を広げる効果が高いお薬です。しかし、この薬には瞳を広げる「散瞳(さんどう)」という作用があります。閉塞隅角緑内障の方が散瞳を起こすと、狭い隅角がさらに圧迫されて房水の出口が完全に塞がってしまい、急性緑内障発作を誘発する恐れがあります。そのため、閉塞隅角緑内障の方には、これらの吸入薬は原則として使用できません。
ステロイド薬と眼圧の関係
一方、房水の流れを悪くすることでステロイド薬は開放・閉塞を問わず眼圧を上昇させることがあります。しかし、このリスクは点眼薬が一番高く、続いて目付近へのステロイド軟膏塗布、飲み薬や注射といったステロイド全身投与の順となります。吸入薬の場合は、後述するように全身への影響が非常に少ないのが特徴です。上記の理由から当院では安全性を考慮し、ステロイドの点眼が必要な場合は必ず眼科専門医に眼圧を管理していただきながら治療を行うようご案内しています。
全身ステロイド投与のデメリットに関してのブログはこちら👇
ステロイド全身投与のデメリット (4コマあり)
吸入薬以外で閉塞隅角緑内障の方が注意すべきお薬
吸入薬だけでなく、日常的に処方される内服薬の中にも、閉塞隅角緑内障の方にとって禁忌(使用してはいけないこと)とされているものが多く存在します。これらも抗コリン作用を持つ薬剤が中心です。ご自身で市販薬を購入される際や、他の診療科を受診される際にも注意が必要です。
- 抗ヒスタミン薬・・鼻炎や蕁麻疹に使われる第一世代の薬や、第二世代の一部は注意が必要です。
- 消化器系の鎮痙薬・・胃腸の痛み止めの代表格であるブスコパンなどは避けるべき薬剤です。
- 総合感冒薬・・PL顆粒などの配合剤には、抗コリン作用を持つ成分が含まれています。
- 精神神経系薬剤・・不安を和らげる薬や、一部の睡眠薬、抗うつ薬も該当することがあります。
- 排尿障害治療薬・・過活動膀胱の治療に使われるバップフォーやベシケアなどは禁忌とされています。
- 循環器薬・・リスモダンなどの抗不整脈薬、ニトログリセリンなどの硝酸薬の一部が禁忌とされています。
これらのお薬を服用する必要がある場合は、必ず主治医に「緑内障があること」を伝え、眼科での隅角検査の結果を共有してください。
吸入ステロイドを使い続けても大丈夫ですか?
さて、ここからが本題です。喘息などの治療で吸入ステロイド薬を毎日使っている方は、本当に眼圧が上がって緑内障が悪化するのでしょうか? 結論から申し上げますと、適切な用量を守っていれば、吸入薬による緑内障発症や悪化のリスクは、現在広く用いられているエビデンスにおいて「過度に心配しなくてよい」という方向にまとまっています。これには明確な理由があります。
吸入薬の量は極めて少量です
吸入薬に含まれるステロイドの単位は「マイクログラム」です。これは、飲み薬などで使われる「ミリグラム」の1000分の1の単位です。例えば、喘息の治療で標準的に使われる量を吸入しても、血液中に移行する量はごくわずかです。全身への影響は非常に少なく、長期間の使用でも血中のホルモンバランスに影響を与えないという報告が多数なされています。
ステロイドレスポンダーという体質
ただし、体質的にステロイドに敏感で、少量でも眼圧が上がりやすい方が「ステロイドレスポンダー」として数%いらっしゃいます。こうした体質の方は注意が必要ですが、それでも点眼薬(目薬)に比べれば吸入薬のリスクは圧倒的に低いです。臨床現場で私たちが拝見する限り、吸入ステロイドの使用だけで急激に緑内障が進むケースは極めてまれです。
研究データが示す安心の根拠
近年の高度な研究結果(メタアナリシス論文)によると、吸入ステロイドを使っているグループと、使っていないグループを比較した際、むしろ使っているグループの方が緑内障のリスクが低いという驚くべきデータも発表されています。これは、喘息の炎症が適切にコントロールされていることで、全身の状態が安定するためではないかと考えられています。つまり、吸入薬による副作用を恐れるあまり治療を疎かにすることの方が、身体にとっての「リスク因子」となる可能性があるのです。
吸入ステロイドの種類と安全性についての補足
現在日本で使用されている主な吸入ステロイド薬には、フルチカゾン(レルベア、アドエア、フルティフォームなど)、ブデソニド(シムビコート、パルミコートなど)、シクレソニド(オルベスコ)などがあります。正しく吸入していればいずれも気管支に直接届くように設計されており、目への影響を最小限に抑える工夫がなされています。
中村橋いとう内科クリニックでの診療方針
私たちは、患者さんの不安に寄り添いながら、一人ひとりに適した治療を提供することを大切にしています。
眼科との連携を重視しています
緑内障をお持ちの患者さんに吸入薬を処方する際は、必要に応じて連携する眼科クリニックでの定期的な眼圧測定をお願いしています。呼吸器の症状(咳や息切れ)を改善することはもちろん重要ですが、目の健康を損なわないことも同じくらい大切です。眼科の先生から「この方は吸入薬を使い続けても問題ありません」という診断をいただくことで、患者さんも安心して治療に専念できると考えています。
正しい情報を分かりやすく提供します
インターネット上の情報は、時にリスクだけを過剰に強調し、患者さんを「予後(病気の経過)」への不安に陥らせることがあります。当院では、医学的な科学的根拠(エビデンス)に基づいた正確な情報を、お年寄りから若い方まで分かりやすい言葉でお伝えするよう努めています。分からないことや不安なことがあれば、診察中に何でも質問してください。私たちは、患者さんが納得して治療を続けられることが、病気の「寛解(症状が落ち着くこと)」への近道だと信じています。
吸入薬と緑内障に関するよくある質問
Q1. 喘息の吸入薬を使い始めてから目がかすむ気がします。すぐに中止すべき?
A1. 自己判断で中止せず、まずは当院や眼科を受診してください。目の不調が吸入薬によるものか、あるいは疲れ目や別の要因によるものかを判断する必要があります。喘息の炎症を放置すると呼吸状態が悪化し、かえって体に負担がかかります。当院では、副作用の少ない別の種類の薬へ変更するなどの柔軟な対応も可能です。
Q2. 家族に緑内障の人がいますが、私も吸入薬でなりやすくなりますか?
A2. 緑内障には遺伝的な背景も関係しますが、適切な量の吸入ステロイド薬の使用が、直接的に緑内障を新規発症させるリスクは非常に低いとされています。ただし、ご家族に緑内障の方がいらっしゃる場合は、健康診断などで定期的に眼底検査を受けることをお勧めします。予防的な観点からも、呼吸器の状態を安定させておくことは有益です。
Q3. 閉塞隅角緑内障と診断されました。使える吸入薬はありますか?
A3. はい、ございます。閉塞隅角緑内障の方でも、抗コリン作用を含まないステロイド単剤の吸入薬や、ベータ刺激薬と呼ばれる別のタイプの気管支拡張薬は、安全に使用できるケースがほとんどです。当院では、眼科の診断結果に基づき、禁忌を避けた安全な薬剤プランをご提案いたします。
参考文献
・Tinkelman DG, et al : Efficacy and Safety of Budesonide Inhalation Powder (Pulmi cort Turbuhaler®) During 52 Weeks of Treatment in Adults and Children with Persistent Asthma. J Asthma 2003 ; 40 : 225―236.
(中等量のBUD 800㎍/日を1年間投与した報告においてACTH負荷前後の血漿コルチゾール値に変化が認められなかった)
・KempJP, et al. Potential effects of fluticasone propionate on bone mineral density in patients with asthma : a 2-year random ized, double-blind, placebo-controlled trial. Mayo Clin Proc 2004 ; 79 : 458―466.
・Li JT, et al. Effects of flu ticasone propionate, triamcinolone acetonide, pred nisone, and placebo on the hypothalamic-pituitary adrenal axis. J Allergy Clin Immunol 1999 ; 103 : 622―629.
・Ishii M, et al. Inhaled Corticosteroid and Secondary Glaucoma: A Meta-analysis of 18 Studies. Allergy Asthma Immunol Res. 2021. PMID: 33733638
(吸入ステロイドの眼科的副作用を過度に誇張すべきではないと結論づけているメタアナリシス論文)
