聴診の精度
呼吸器内科医にとって聴診というのは非常に重要です。
学生~研修医~呼吸器内科入局したての頃は「服の上から聴診するな」と教えられてきました。
しかし、最近は些細な事でも医療訴訟になりうること、ちょっと不快な思いをしたということでgoogle★1をつける患者さんがいること、下着を着脱するのに時間がかかることなどの理由で服の上から聴診するように変えています。
服の上からちゃんと聴診できるの?と思う方もいると思いますので、今回の院長ブログでは聴診について記載します。
聴診器で鑑別する呼吸音
抹消気道から肺胞に由来する呼吸器系の雑音のことをラ音と呼びます。ドイツ語のRasselgräusch(ラッセル)音がラ音の語源です。
ラ音は連続して聴こえる連続性ラ音と音が途切れる断続性ラ音に分類されます。
呼気時に聴取される「ヒューヒュー」という高音の連続性ラ音はwheezesと呼び、「グーグー」という低音の連続性ラ音をrhonchiと呼びます。
wheezesは抹消の気管支が細くなっている時に聴取される音であり、wheezesが聴こえる代表的な疾患は気管支喘息です。
心不全でもwheezesが聴こえる場合を通称で心臓喘息といいますが、心臓喘息は正式な医学用語ではありません。
一方、rhonchiはもう少し中枢測の気管支が痰などで狭くなっている時に聴取される音であり、こういった音が聴こえた場合は去痰剤を処方するといった具合に聴診音で処方する薬を使い分けています。
吸気時に聴取される「プツプツ」と細かい音の断続性ラ音をfine cracklesと呼び、「ボコボコ」と粗い音の断続性ラ音をcoarse cracklesと呼びます。
fine cracklesは髪の毛を捻じったときに聴こえる音に似ていることから捻髪音ともいわれます。この音が聴こえる代表的な疾患は間質性肺炎です。
coarse cracklesは水泡音ともよばれ、この音が聴こえる代表的な疾患は肺水腫や細菌性肺炎です。
また、吸気時に聴取される連続性ラ音をstriderと呼びます。上気道の狭窄で起きる音であり、大人ではめったに聴取することがありませんが、小児科領域では急性喉頭蓋炎などで聴取されることがあります。この音が聴取されてしまった場合には緊急事態であることが多く、医師としては冷や汗ものです。
Squawkは吸気時に一瞬だけ聴取される「キュッ」という細気管支領域で生じる笛音です。
服の上からでも聴診できるのか?
正直なところ衣擦れの音が入ったりするので服の上からだと聴診しにくいです。
しかし、訴訟に巻き込まれるよりは頑張って耳を懲らす方が良いので、神経を研ぎ澄ませて聴診をしています。
Tシャツ1枚、Tシャツ2枚、厚手シャツ1枚、厚手シャツ2枚を来た状態で聴診音がどれだけ減弱していくかを調べた研究があります。
この研究によると30g程度の弱い力で聴診器を当てると呼吸音が聴こえにくくなってしまいますが、500gくらいの強い力で聴診器を当てれば厚手のシャツ2枚程度の厚さであれば呼吸音の聴取に差は生まれなかったようです。
Kraman SS. Transmission of lung sounds through light clothing.Respiration. 2008;75(1):85-8. PMID: 17202806
この論文が出た後に診察手技を教わった先生方は「服の上から聴診しても良い」と教わっているかもしれません。
しかし、聴診する際には500g(ペットボトル1本の重さ)を超える圧で聴診器を押し当てないといけませんので、服の上から胸を強く押すことに関してはご容赦ください。
聴診器の値段
当然ですが高い聴診器の方が良く聴こえます。
このため、呼吸器内科医である院長はこだわりの聴診器を使っています。
以前は副院長と同じく学生時代に購入したリットマンのカーディオロジーⅢ(約3万円)を使っていました。
聴診器のチェストピース(胸に当てる部分)はベル型と膜型がありベル型は心雑音など低周波音を聴取する際に、膜型は呼吸音など高周波音を聴取する際に利用します。
リットマン聴診器の中でも値段が高いものはサスペンデッドダイアフラムが採用されており、聴診器を当てた時の圧で高音域と低音域を聞き分けることが可能な構造になっています。
カーディオロジーⅢは大人用サイズと小児用サイズの膜型のサスペンデッドダイアフラムがある聴診器です。
当時は小児科医になることも考えていたので、大人用と小児用が備わっているこの聴診器は重宝していました。
呼吸器内科医となった現在はケンツメディコのステレオフォネット(約5万円)を愛用しています。
この聴診器はステレオ構造になっているため、呼吸音や心雑音の流れる方向が解るという優れものです。
呼吸器内科の中でも喘息を専門とする私にとってはwheezesをより正確に聴取できるステレオフォネットを部品が壊れる度に修理をしながら使用し続けています。
服を着たままの診察による見逃し
私は服を着たまま診察をしたことによって「ある病気」を見逃ししかけた経験が2回あります。
1例目は越谷市立病院当直時です。夜間に呼吸困難を主訴に受診した中年女性が服を上げて聴診するのを嫌がるそぶりがありました。このため、その気配を察して服の上から聴診しました。
聴診音では判断することができなかったのでとりあえずレントゲンを撮影したのですが、そのレントゲン写真を確認したあとに慌てて服を上げて診療させてもらうように依頼しました。
服を着たままの診療では病気の存在を見逃しており、服を脱いで診療させて頂いて初めて診断することができた病気…それは乳癌でした。
乳房の形が変形するまで進行していたため、当直していた比較的若かった男性医師(当時30代半ば)に見せるのを躊躇したことで起きた見逃しでした。
もう1例は相模原病院での救急対応時です。呼吸困難で受診した高齢女性に対して服の上からの診察では異常を見つけられず、念のために撮影したCTで乳癌を見つけたという患者さんでした。
学校検診の事例など医師側の事情を知りもしない裁判官による判決で医師側が負ける事例が近年多くなっていますが、着衣での診察は医師の診断の精度を下げているのは紛れもない事実ですのでご留意ください。